観劇めも

生円盤配信問わないほぼほぼ自己満観劇メモ。Twitterは@haru_8_ru

メサイアー黎明乃刻ー観劇

※ずっと書いては消し、書き足しては戻りを繰り返していましたが、これ以上描き進めることができる気がしないので、大好きなこの作品を忘れないためにもお盆が明けた今、これでアップします。

 

メサイア黎明乃刻、並びに刻シリーズの大千秋楽お疲れ様でした。初日、大阪3日目マチネ、大阪楽、大千秋楽と4度も観劇することが出来ました。生メサイアは初の友人が2人も来てくれたこと、嬉しくて嬉しくて仕方ありません。

大千秋楽から日にちが開いてしまいましたが、黎明を振り返りたいです。

時系列も順序もぐちゃぐちゃですが、Twitterで騒ぎ倒したのを振り返りながらいちメサイアおたくのひとつの感想として書いておきます。

 

 

初日。誰も何が起こるか知らない環境で、刻シリーズの完結と銘打たれていて、凄く怯えながら東京へ向かいました。劇場で山口監督と漆原さんを見かけて わぁ……東京だ…… って思ったのはいい思い出です(ただの馬鹿)。

 

開演前。客入れの曲が終わりに近づいてフェードアウトしていって、観客が鐘の音に備えて身構えたのにも関わらず曲が再開するという珍事が。笑 ただそのお陰で客席の緊張も解れたので結果オーライな気も。

観劇中。序盤でまよもレネもじゅんも撃たれてしまうけど、まだ時間だいぶあるからここでは誰も死なない、と冷静な自分がいて、話が進むのをひたすらに見守っていました。でも正直どこから泣いてたのか記憶がなくて、いつの間にかハンカチが涙と鼻水でびしょびしょになっていたぐらい泣いていて。

どのシーンも大切で大好きなんですけど、初日に1番泣いたのはまよレネvs要のシーン。そこまでのレネのアプローチで、レネはレネでまよを大切にしたくて、まよはまよでレネを受け入れたい、でもこたろうを忘れられないから苦しんでる、そんな2人の関係が分かっていて。そうしたらレネが要に撃たれそうになって、時が止まって、まよに聞こえたこたろうの言葉。私はあの言葉はきっと「まよが前に進むためにこたろうに言って欲しい言葉」だと思って。こたろうに許して欲しくて背中を押して欲しくて、その想いがまよに幻聴を聞かせたんだと思ってます。だけどもきっとそれはまよと同化したこたろうの本心でもあって、だからまよは起き上がって要を殴り飛ばしてレネを助けられる。あの瞬間は受け取り方はどうあれ、あの空間にいた全員が1番泣いて、1番嗚咽を漏らしていたように感じました。偶然にも月詠と同じGロッソとメルパルクで、私の記憶違いかもしれないけど同じような立ち位置でまよがこたろうの構えをとって背負い投げをするなんて、月詠でのやるせなさが少し昇華された気がします。せいぜい167,8cmしかなさそうなまよが、長江くんが、180cmはある要を、山崎くんを投げ飛ばすのなんて絶対大変なのに、あの戦闘でそれを選んだまよは、こたろうと1つになったってことをこたろうに証明したかったのかなぁと思ったり。

掟のシーン。グズグズに泣き腫らして誰がどのシーンを言ってるのかこの日は分からなかったんですけど、「サクラは、友人や恋人になってはいけない」をOPでは雛森が2回目に言ってるところをここでは小暮が言っていて、その事実だけで涙が溢れた。小暮の「帰る場所」はちゃんとここにあったんだなって。

エンディング。映像が流れて、護が映った瞬間の悲鳴。有賀さんも、いつきくんも、出てくる度に悲鳴が上がって。映像にはいなかったけど、ちゃんと淮斗も護と共に、間宮さんも有賀さんと共にいて、言葉に出来ないくらい嬉しくて悲しくて幸せだった。ちゃんと世界のどこかで彼らは生きてる、戦ってると改めて思いました。

 

カーテンコール。劇中で着るのは黄昏でも着ていたとは言え、カテコでメサイアスーツを着るのが月詠以来の真ちゃんが泣きそうだけどとても嬉しそうな顔をしていたのが凄く印象的でした。いっけーさんが茶化してたけど、あの場にいたみんながきっと見たかった光景だよな……と今思い出しても泣きそうになります。

 

途中で真生光一派がオデュッセイアの話をしていた時、柱の影にいる小暮くんよりどうしても中央に目が行きがちだったけど、シーン終盤でふと目を向けたら衝撃というか絶望というかな表情で、胸が苦しくなりました。2度目は丁度上手側の席だったので表情の変化をずっと見ていたのですが、何度も出ていこうとしたりやめて柱に引っ込んだり、照明が当たってないからこその影や表情に涙が止まりませんでした。

 

煩悩の塊のようなツイートもしていましたが、このシーン、ついに一嶋係長と小暮くんがちゃんと向き合うのかと思うと泣けてきて泣けてきて、親子では無いけども確かに父と息子の様だったのが印象的でした。小暮くんの「俺はお前じゃない!」の叫びが、ようやく自分で自分に掛けていた呪縛から解放されたように感じてさらに泣いてしまいました。

 

丁度月詠を見せて新しく1人沼に落とした時に話してたんです。そしたら作中でも『幻想』と言われてしまって。

でも私はこう思ってます。人が人を想う力って本当に強いと思っていて。だからこそネクロマンサーに「悠里淮斗」という人格が戻り、有賀涼という人物が自分の大切な人達のことを思い出し、柚木小太郎という人間が独りぼっちの神様を(自分だけの神様にはしたけど)人間に出来たのだと思っています。

小暮が雛森を想い、雛森がユキのことも小暮のことも想っていたからこその黎明だったのだとも思っています。

 

あと直接的には黎明と関係のない話。ともるんのアイコンが遂に卵が孵ってしまって、Twitterがざわついたあの事件。もしかしてこの黎明の映像を撮ったから前に進めたのかな、と思いました。護は生きているから前に進まなきゃ行けなくて、淮斗は精神はいるけど肉体はもうないからずっとあの時間に留まっているのかなって。CODE EDGEで黒子ちゃんに作って貰ってたのもメサイアコートで、淮斗はチャーチを卒業していないことを改めて突きつけられたような気分でした。

 

ラストの掟のシーン。ユキと雛森と小暮の3人で口にするのが賛否両論あったと思いますが、私は『かつてのヒナのメサイアはユキであり、今の雛森メサイアは小暮』『かたちは違えてしまったけどユキもサクラ候補生』ということを示しているように感じて好きです。

サクラ候補生であるからチャーチの鉄の掟を口に出来るけれど、もう今は雛森メサイアではないから最後の「それが、メサイア」を言えずに息絶えるのかなぁと思っています。

 

「ユキ」と「ヒナ」、「小暮」と「雛森」。呼び方が少し変わるだけで雛森がガラリと変わってしまうのが凄いような恐ろしいような感覚でした。洗脳してでも雛鳥を手元に置いておきたい大人ユキと何も知らずに愛されたい子供ヒナ、お互い隙間をたくさん抱えながらも支え合う小暮と雛森という印象でした。

(観劇する回数を重ねるうちにユキも洗脳したいのではなく、見ようによっては洗脳とも見えるようなそんな愛し方しか知らなかったのかなぁと思うようになりました。感情って難しいね!)

他にも「黒子」と「百瀬多々良」や「万夜様」と「万夜」って同じ人物を指すのに全然違う人物像が浮かんで来るので、メサイアの世界では名前が持つ意味って大きいなぁと思います。

 

これはもうほんとにこれ通り。ユキに教えて貰ったことしか知らないのかな、とここではっきりと思いました。